やがて死ぬ構文というものがあります。
内容はともかくとして、この構文は「この世の真理」をそれっぽく語りたいときに使われます。全盛期は恐らく2017~2018年頃です(私調べ)が、この構文は汎用性が高く、現在でも根強く使われています。
「人はやがて死ぬ」という一文を見たときにハッとする感覚はありませんか。そのハッとする感覚を「存在論的恐怖」と呼ぶのかもしれません。
ベビーカー・子連れはなぜ「敵意」を向けられるか、その驚くべき理由(脇本 竜太郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) (ismedia.jp)
1. 人は生死から目を背けて生きている
2. 人は動物であることからも目を背けて生きている
3. 妊娠・出産は生死と動物性を見せつけてくる
4. 「人はやがて死ぬ」を何度も呟こう
1. 人は生死から目を背けて生きている
SNSで相次ぐ出産報告。生まれたばかりの赤ちゃんが寝ている写真など本当に愛らしいですが、時々本当にこの世に出てきたばかりの赤子の写真が出てくることがありませんか。ところどころに血が付いていて、灰色の胎脂に覆われて、少し生えた髪の毛が羊水でカピカピになった、本当に生まれたての赤子の写真。そういう写真を例えばオフィスで仕事の合間に見たときに(ヒュン…)となる感覚ってありませんか。生々しく鮮やかな「生」とオフィスの無機質な空間とのコントラストに脳がチカチカしませんか。
我々人間は普段、基本的に人の生き死にから離れて生活をしています(医療従事者など一部の生死と向き合う職業の方々を除きます)。特に「死」というのは人間にとって恐怖そのものなのです。太古の昔から語り継がれる神話や昔話に不老不死を夢見る登場人物が多く出てくるように、「死」は生きている人間にとって「終わり」を意味するものです。
そして「生」もまた「死」を想起します。「人は生まれやがていつか死ぬ」という事実をまざまざと突き付けてくるのが「人の誕生」です。「人は生まれやがていつか死ぬ」という事実に恐れを抱くことを社会心理学で「存在論的恐怖」と言います。
2. 人は動物であることからも目を背けて生きている
言うまでもなく、我々人間は動物の一種です。ホモ・サピエンス・サピエンスというのが我々人間を指す動物としての学術名です。しかし普段我々は動物であることからも目を背けがちです。
例えば動物は字を読み書きしません。凝った料理をしないですし、Netflixでドラマを見ることもしません。人間固有のあらゆる文化的な行動が我々人間を動物と一線を画した存在に仕立てているのです。
大抵の動物の寿命は人間より短いです。(人間より寿命の長い動物はゾウガメや鯉などほんの限られた種のみです。鯉は意外でした。ご存じでしたか?)人間は動物とは違う、と思い込むことで動物について回る「生と死」の概念と距離を置くことができるのです。
人間が自らに動物性を感じる瞬間、それは繁殖行動やそれに準ずる行動を起こすときではないでしょうか。公の場で性的なことを慎むのは未成年とのゾーニングの為でもありますが、人間の動物性を想起させ、それが「存在論的恐怖」に繋がるからかもしれません。
3. 妊娠・出産は生死と動物性を見せつけてくる
普段、生死や人間の動物性から目を背けて”文化的”な生活をしている人が妊婦さんや赤子を見たとき。「お前は人間という動物でやがて死ぬ」と思い出すのです。そのような「存在論的恐怖」がマタハラに繋がっているのではと冒頭の記事で脇本教授が指摘しています。
実際にSNSでも「赤ちゃんを抱っこしていたらわざとぶつかられた」「性行為をしたんだな!と見知らぬ人に下品な言葉を投げかけられた」などの報告が散見されます。
弱者に対して攻撃的な行動をする者も一定数いますが、「存在論的恐怖」が働いた結果と言える事例もあるのでしょう。
4. 「人はやがて死ぬ」を何度も呟こう
死を恐れるのは本能であり致し方ありません。しかし人の「生」に触れる度に「死」を想起して恐怖に陥り、果ては妊婦や赤子に対して攻撃的な態度を取るというのは非常に浅はかで許されない行為です。
メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句です。(引用元:Wikipedia)人は古代ローマの時代から「やがて死ぬ」ことを忘れがちだったのでしょうか。況や古代ローマよりずっと平均寿命が延びたであろう現代社会をや。
「存在論的恐怖」に陥って「生」を想起させるものを忌み嫌ってしまう自覚のある方は、どうか脳内で独り言をいうときに「そして人はやがて死ぬ」と付け加えてみてください。
(お会計っと…えっ現金のみ?まじか1円玉が絶妙に足りないし人はやがて死ぬ)
(あー地味に36協定オーバーしてるけど、上司に言ったら怒られるやつだから誤魔化しとくか、人はやがて死ぬ)
そのうち人が常に死と隣り合わせであることが脳に刷り込まれます。もはや生まれたばかりの血まみれの赤子の写真を見せられても(ヒュン…)とはなりません。(この子が生まれ、そしてやがて人は死ぬのだ)と思えば妊婦や赤子に攻撃的な態度を取る理由もなくなるでしょう。
優しい世界を願って。